No.03 ヴァンダナ・シヴァ

ヴァンダナ・シヴァのアース・デモクラシー


今回はインドを代表するフェミニストであり、環境家のヴァンダナ・シヴァについて、つらつらと書いていきたいと思います。


簡単に彼女の経歴を紹介しますと、

・1952年生まれ、現在も存命です。

・ガンディー主義者の母親に育てられました。

・ウエスト・オンタリオ大学(カナダの州立大学)で科学哲学のPh.Dを取得しています。



もともと彼女は理論物理学者としてインドのエコロジー運動を牽引していました。

(※「理論物理学(りろんぶつりがく、英語: theoretical physics)は、物理学において、理論的な模型や理論的仮定(主に数学的な仮定)を基に理論を構築し、既知の実験事実(観測や観察の結果)や、自然現象などを説明し、かつ未知の現象に対しても予想する物理理論を扱う分野のこと。」(Wikipediaより引用))

大雑把に言うと、理論的に自然環境を考察する、ということです。



そして、1984年にナウダーニャ運動(9つの種運動)を開始します。この運動は、インドの生物多様性を確保するために在来種や有機農家を守る運動です。


彼女がこの運動を始めた理由は、国連やロックフェラー財団による、インド国内での米型大規模農業近代化(緑の革命)です。この政策によって27万人ものインド人農民が自殺したと言われています。そして、効率の良い遺伝子組み換え種がインドに持ち込まれ、その供給元であるアメリカの大企業が種市場を独占しました。土着の種は農園でも市場でも淘汰され、急速に数を減らしていったのです。


彼女はインドの故郷デラドゥーンに有機農場のモデルとして、ナウダーニャ農場を建設し、世界各国の意志ある人を受け入れ、有機農業の指導を行っています。



彼女の活動は主に4つから成ります。

1.緑の革命に対する批判

2.WHO(世界貿易機関)の自由貿易政策に対する批判

3.遺伝子組み換え作物に対する批判

4.多国籍企業による水資源独占に対する批判



そして彼女はガンディーのスワラージ思想を基に、4つの新たなスワラージを確立します。

・ビージ・スワラージ(の自由)

・アンナ・スワラージ(の自由)

・ブー・スワラージ(大地の自由)

・ジャル・スワラージ(の自由)



また、彼女に思想はローカライゼーションに通ずるものが多くあります。彼女は村落共同体としてのインドを理想とし、生命中心的経済の重要性を説きました。

(※「ローカライゼーション」は、一般に「地域化」と呼ばれるもので、グローバル化に逆行し、地域土着の文化や経済を守っていこうとする取り組み。)






ここからは、「ヴァンダナ・シヴァ いのちの種を抱きしめて」というドキュメンタリー映像を見て、印象的だった言葉を書きます。


・「最高の抵抗は深い愛情から始まる。」

これは彼女の思想の中核であるガンディー思想と同じものです。ガンディーはイギリスの持ち込んだ急速な近代化工業化の波に対抗する時、徹底的な「非暴力・非服従」を唱えました。そして、その根底には、インド土着の文化、自然、人々に対する深い愛情があったのです。


・「自由貿易・グローバル化は国民に選択することを不可能にさせる。」

グローバル化に伴う自由貿易化は、一部の多国籍企業の市場独占を誘発します。また、人々のためであった政治が、企業のための政治へと変貌し、人を顧みない経済中心主義の社会が生まれています。


・「生命=歓び」

この言葉は正に彼女の生命中心的経済の考えを表しているものでしょう。自分が自然の一部として認識している彼女だからこそ、生命の多様性こそが人々の歓びだと知っているのです。


・「社会は人間を簡単に見捨てるが、地球は人間を決して見捨てない。」

実はこの言葉が僕の中では大きく反響していて、人間の帰属先は移り変わる社会ではなく、地球そのもの(アース・デモクラシー)なんだと実感させられました。


・「効率性という言葉は機械の誕生と同時に生まれた。それを生命に当てはめれば必ず崩壊が起こる。」

効率性よりも、多様性を重んずる彼女の思想の裏付けです。効率性によってワイプアウトされた人々は孤立し、悲壮の中で死を選びます。一方で多様性とは違いを受け入れるということであり、効率の良い人も悪い人もコミュニティから排除されないということです。




この記事を読んで少しでも、現代社会の問題に目を向け、本当の歓びとは何か、幸せとは何かを立ち止まって考えてみてほしいと思います。


僕自身、大学で平和学の授業を取っていなかったら、幸せや豊かさについて考えることもしなかったでしょう。それこそが、消費社会・グローバル社会・経済至上主義社会の構造的暴力なのです。私たちは知らないうちに富や豊かさのモデルを押し付けられ、疑いもなくそれに猛進していく。気づくことすら困難にさせる「暴力」がこの社会にはあるのです。


そして、その暴力に対抗するする術が「学び」です。大学とは学びを得る場所です。大学では、多くの学びによってたくさんの問題に気づき、その問題に対して何が出来るか熟考し、一学生、一人間なりにでも行動していきたいと思います。


最後は個人的な決意を述べてしまいましたが、これからも、この雑多なブログをよろしくお願いします(笑)

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