No.04 僕が浪人していたときの話<第1話>(3月4月編)
こんにてゃ。こんにてゃって何だ。こんにちは。Leoです。余談ですが、最近イングリッシュネームをLeoからTomに変えようか迷ってます。まあ、知らんがなって感じですよね。
今回は、
僕が浪人していたときの話
をしようと思います。
僕が味わった最もストレスフルな1年を記録しておきたいと思い、記事を書こうと思い立ちました。
ちなみに僕の志望校は、
東京外国語大学国際社会学部西南ヨーロッパ第一科フランス語専攻
です。
では月別に見ていきしょう。
3月
現役時代、強気の出願をしたせいで大学に一つも受からないという悲劇を経験しました。本気で海外の藝大に行ってファッションデザインの勉強をしようとも思いましたが、せっかく勉強してきたのだからと周りに言われ、浪人を決意します。
予備校は駿台予備校大宮校に決めました。決め手は高校時代の可愛い女の子がそこに行くと決めていたからです。嘘です。いや、半分本当です。そしてこれがきっかけで、高校の時あまり話さなかったその子と、たびたびご飯に行く仲になります。
浪人を何だと思っているんだと言われそうですが、ここで僕が伝えたいことは、
受験で何よりも大事なのはメンタルヘルスということです。
メンタル面でセルフマネジメントが出来ないやつは潰れていきました。つまりやる気がありすぎてもダメなのです。
3月は最終週までに遊び尽くすぞと決意し、その間に祖父母の家に行ったり、友達と遊んだり、つかの間のホリデイを過ごしました。
早めのスタートが大事だと思った私は、浪人仲間がまだ遊ぶなか最終週から勉強を始めます。特に英語は継続しないと力が落ちるので、遊んでいた分を取り返すために重点的に学習しました。
しかし、これが後に裏目に出ることに、、、、、
その話は7月編あたりで話します。
4月
僕は超難関国公立大学文系というクラスに所属しました。主に旧帝や一橋、外大を目指す浪人生のクラスです。大手予備校の面白いところは、こういったクラスが正に高校のクラスと同じような感覚だというです。毎朝ホームルームがあり、連絡事項をクラス担任が伝えます。
ちなみに僕のクラスの担任は若い20台の女性で、副担任が母親のような抱擁感を感じさせる女性でした。(笑)
4月は浪人の生活リズムに慣れるという意味合いが強く、授業もそこまで本格的なものは少なかったように感じます。
ただ、僕はやる気に燃えていた🔥ので、自習室に夜10時まで残る生活を途中から始めました。
この時は全てが充実していて、清清しい気持ちでした。
こうして4月は順調に過ごしていき、5月に控える最初の模試に備えました。
0コメント